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全てのロマンが成田空港に

くろねです。京都の院生。国家公務員試験についての記事は凍結中。Twitter: @spine19642

雪の中の幻覚

前の日記でも書いた、スウェーデンの極北、キルナでの滞在一日目、オーロラハンティングに出かけていた時のこと。

 

オーロラの英語表記はauroraだが、スカンジナビアで出会った人々の多くにこの言葉は通じなかった。

彼ら、彼女らはオーロラを指してnothern lightsと呼ぶ。

このnorthern lightsに、北の光というなんともそのままな訳語を当てると、オーロラを探す際には、とりあえず北を見てみよう、という目標が浮かぶ。

実際私もそうした。

なるべく市街地の光が当たらない、真っ暗な場所を探し、ひたすら北の方向に向けてカメラを構える。

それがオーロラハンティングの基本だ。

 

キルナ1日目の夜は、幸いなことに雲も少なく、夜空には綺麗な星がちりばめられていた。

私がキルナに到着したのは夕方で、もちろん昼間に下見をすることなどできていない。

手探りで観察拠点を探すことになった。

地図を見て、宿から最低3キロほど歩けば、どうやら明かりが少ない場所に着くようだ、という目測をたてる。

極寒のキルナ、ガイドもつかない個人撮影ともなると、やはり命の危険が伴う。

リュックサックに荷物を詰める。水、食料、使い捨てのカイロ。三脚。

全部詰めると大体5キロほどになった。

それを背負って、雪が積もった道をひたすら歩く。

しばらくの間は、雪が踏みしめられてできた、大きな道があった。

昼間に誰かが通った道なのだろう。

「誰かが通った」という安心感は大きい。「ここは踏んでも沈まない」という保証を与えてくれるからだ。

そうやって20分も歩いているうちに、ついに足跡が途切れ始める。道が小さくなる。

しかし、まだ市街地からの光が強い。

街の光は、夜道を歩く上では心強いが、オーロラを観察するためには邪魔者でしかない。

普段は意識しないが、街灯や家の灯りというものの明るさは大変強く、少し離れた程度で変わるものではない。

そしてその明かりがそのままオーロラを覆い隠してしまうのだ。

オーロラ観察に際しての光を指して、「光害」と呼ぶこともあるらしいから、相当なものだ。

光害を避けるために、ひたすら光から逃れられる場所を探す。となると、必然的に人里から離れていくことになる。

足跡が途切れていく。

道が無くなる。道が無くなった。

 

ここを拠点にするか、と一瞬考えた。

ただ、まだ北の方向の明かりが消えきっていない。

その時私が立っていた場所はある小さな丘の近くだった。

丘の地形を利用すれば、なんとかあの明かりを隠せるかもしれない。と考えた。

しかし、自分が今立っている場所は非常に不安定な場所だった。

雪道で、まだ誰も踏みしめていない場所に足を運ぶとどうなるか。

簡単な話で、ずぼずぼ、と沈むかもしれない。

もしかしたら、今から踏み出すその場所で、雪が高く積もっていて、数十センチもの深さまで沈み込んでしまうことだってあるかもしれない。

どうしようか、と考える。

休憩がてらポケットからスニッカーズを取り出す。

氷点下の世界で齧ったスニッカーズはまるで氷のようだった。それでも寒いところで食べる甘いものは、何ともいえない幸福感が伴う。

少し幸せになったので、気分が高揚した。

頑張ろう。

最高のポジションでオーロラが見たいと思い、明かりの無い場所を目指して歩き始める。

 

さらに20分ほど歩いたところで、遂に明かりが無くなった。

手元を照らすのは月の明かりのみ。ちらほらと雲が見えた。あれが月を隠したら困るな、と思った。

 

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気温は−10℃を下回るか、といったところ。

丘の傾斜面だったからか、絶えず丘を超えて吹く強風に晒されていた。

左手の感覚が少しずつ無くなるのを感じていた。使い捨てカイロも、焼け石に水程度の効果しかない。

戻るための体力を考えると、観察のために長居出来ないであろうこともわかっていた。

震える手で、携帯のタイマーをセットする。

三脚を構えて、ひたすら、オーロラを待つ。

 

寒すぎて、頭の中でぐるぐるといろんな思考が駆け巡った。

とりとめのないものばかりで、ふらふらほつほつと流れては消える、希望だとか絶望だとかそういうものがたくさんふらっとほろっと回っていた。

印象的だったのは、色々な悩み事が、誰一人居ない、ただただ漂う寒さの中では凄くシンプルに思えたことだった。

シンプルになった問題がそこらへんの積もった雪にぶち当たって、そこら一帯の雪が弾け飛ぶ音がした。

風がびゅーびゅー吹いていて、そこで刺さるように聞こえてきた、雪の爆発する音。

実際には、存在しなかった音なのだろうけれども、そのぽつん、ぼふんという爆発音がいやに印象的で、今でも頭に残っている。

(考えてみると、−10℃の極寒の中で一人、カメラを構えてひたすらじっとしているというのは、色々と危ない。よく無事だったものだと思う)

うおんうおんとよくわからなかったんだけども、頭を構成する要素が弾け飛んで、様々に散らばって、それで終わりかと思ったら、そこからまた散らばって、ぽんぱばどん!とポップコーンのように跳ねていく。

物事の細分化。ある意味、これが自分の思考の本質なのかなあ、などと考えて、カメラを構えていた。待つこと数十分。

 

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出た!!!

声がかれるほど大きな声で叫んだ。その声は風でかき消された。

一通り撮影して満足したところで、荷物を抱え、歩いて帰った。不思議と疲れは無かった。

ただ、思い返してみると、素人であるにもかかわらず、実に危険な環境に足を踏み入れてしまったと思う(実際、爆発の感覚というのは一種の幻覚だろう)。

今後は気をつけよう、と思った。ただ、きっと気をつけられないのだろう、とも思う。