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全てのロマンが成田空港に

くろねです。京都の院生。国家公務員試験についての記事は凍結中。Twitter: @spine19642

あなたの隣に

祖父母から段ボール一箱の荷物が届いた。中には大量のインスタント食品が詰め込まれていて、食品棚に置いてあるそれらと合わせれば、一ヶ月は持つんじゃないかというほどの量だった。美味しそうなインスタントみそ汁の封を開け、お湯を沸かし、椀に具とみそとお湯をそそぐ。お箸は無いのでフォークでかきまぜる。久々に嗅いだ味噌の香りが、はなをつたって目の辺りにまでしみ込む感じがする。日本を感じた。

 

そこで、突然、死んでも良いという感覚が来た。

 

ナチュラルに襲ってきたその感覚を必死で振り払って、落ち着いてみそ汁を口に含んだ。多分、日本のみそ汁を飲んで、普段の緊張した生活から離れて安心、リラックス出来た瞬間に、ふとそのようなことを考えたのかもしれない。頭の中に存在しているとは思わない言葉がふわっと流れていた。リラックスとは恐ろしい。気が緩むということは、なんでも受け入れられるということにきわめて近いのではないか。いつも死についてまとうおどろおどろしい気持ち悪さは無く、飲みやすい粉薬のようにさらさらと思考が流れた。いや、あれは思考ではなく感覚だ。考えてはいなかった。けれども突然、感覚はやって来た。抵抗した。だが、仮に抵抗出来なかったらどうなったのだろう?

 

人間はいつ死ぬかどうか分からない。この一文は、普通不慮の事故、不幸な病を想定したものだろう。いわば物理的な死だ。精神的な死はどうなのか。ふとしたきっかけで、心が死んでしまうことだってあるのではないか。それはみそ汁を飲むという本当に何気ない所作から生まれる(死が生まれる、というのは皮肉なことだけど)ことだってあるのかもしれない。人間はいつ死ぬか分からない。そして私たちの心は次の瞬間に終わりを迎えようとするかもしれない。その時、果たして抵抗出来るのだろうか。心が抵抗出来なければ、身体は抵抗出来るのだろうか?

 

こういうのも臨死体験に含まれるのだろうか。

 

みそ汁を飲み込む。喉仏の少し上をさすられた感じがする。それと殆ど同じ瞬間に、みその味が来た。